CSRの本質とは??
産業の革新や商業の発達により私たちは多くのものを得ました。
そして得続けていますし、得続けようともがいています。
でもその代償として失ったもの失いつつあるものもあります。
得たものに対する代償は?
①大量生産・大量消費・大量廃棄の生産様式による環境問題
②依存効果(dependence effect)による、眩惑の消費
③モノによって人間関係が離断される新しい「疎外」
④イノベーションに適応できない人間の「適応障害」
⑤遍在する資源と収奪による「社会格差」「腐敗」の深刻化など
今だけ、自分だけ、お金だけという間違った自由主義個人主義が蔓延ることで本当は最も大切にしないといけないものをどんどん手放してしまいました。
想像力の欠如、思いやりの欠如、察知能力の欠如・・・・・・
教育や価値の伝承の問題になるかと思います・・・・・
いつもお話ししますが、世の中は関係性の中で成り立っています。
つまり全てが繋がっています。
どこかを押せばどこかがへこみます。
誰かが得れば誰かが失います。
この関係性をしっかりと理解することが事業を行う上でものすごく大事です。
今、書いているフィランソロピー的責任とは社会が近代化するに連れてこの関係性を無視した結果生まれた社会的な課題を企業の活動自体を通して主体となり解決していこうというものです。
当たり前と言えば当たり前・・・・・・
でも残念ながらこれが世界の現状です。
この問題は企業の営利活動が拍車をかけているのも事実です。
こんないいものがありますよ・・・・
うちの商品は他社より安くて高性能ですよ・・・・
これを使ってライバルに差をつけよ・・・・
たまには豪華に美味しいものを食べましょう・・・・・
あなた専用の○○・・・・
面倒な手間は入りません使って捨てるだけ・・・・
私たちの欲望に拍車をかけて消費を促す・・・・マーケティング
人とお金を中心においた事業活動が知らず知らずのうちに自分たちの首を自分でしめている。
それが現代です。
そして、私たちは事業活動を通してこの問題を解決していく必要に駆られています。
それがCSRの本質です。
フィランソロピーって何?
それでは最終4つ目の責任のフィランソロピー的責任を書いていきます。
フィランソロピー的責任とは?
フィランソロピーとはもともと古代ギリシャ語の「愛」と「人間」の2語からなっており、「人間愛」を起源とする概念です。
そこから転じて企業活動そのものがコミュニティや環境・社会問題の解決に直結し、企業価値や本来業務に貢献していくことと、自社だけでなく、ステークホルダーの社会的責任をも充足させる活動いくことという意味合いになりました。
具体的には
・ソーシャルベンチャー(社会的企業)
・CSRマーケティング
・CSR調達
・SRI(社会的責任投資)
・BOP(Bottom Of Pyramid)ビジネスなどが挙げられます。
つまりは前にも書きましたが、このエリアがCSVと言えれるところです。
CSV(クリエイティブ・シェアード・バリュー)=共有価値創造です。
企業は今まで人にとって有益な新しい価値を生み出しすことが前提でした。
(本当は違いますが、勘違いして進んできました)
その結果われわれは何を得たのか?
①生存に必要な物理的ニーズの充足・飢餓からの解放
②より自己実現性を高める、必要最低限以上の消費可能性
③ライフスタイル・ライフステージに応じた消費生活
④イノベーションによる、生産活動の効率化など
マズローの欲求の第1、第2の欲求を満たすことに成功しさらに、より豊かにより便利になることをのぞみそれも達成し続けています。
人間はどんどん豊かになっていきます。
寿命も伸び、人口も増え、飢餓も減少し・・・・・・
様々なものが満たされつつあります。
・・・・・
・・・・
・・・
・・
ただ、その結果失ったものも多くあります。
何を失ったかを次回書いていきたいと思います。
弱肉強食・・・・・・・のままでいきますか?
昨日、企業の倫理的責任のことに触れました。
その部分についてもう少し補足したいと思います。
ちょっとセンシティブな部分ですが誤解を恐れずに書きます。
社会的通念により強いものが弱いものを守ると言う姿勢はごくごく当たり前の感覚だと思っています。
強いとか弱いとかを書くと敏感に反応する人がいるかもしれませんが、あって当然だと感じています。
それは、人それぞれその人の人生に合わせた特性を持って生まれてくるからです。
そして、それぞれに役割を担います。
ループしますが役割はその個人の特性によって割り当てられるます。
その中で、人には強みがあり弱みがあり、得意があり不得意があるのだと思います。
最近ではこれを奇妙な個人主義を主体として平等・公平を間違って解釈して、変な平等主義に走ることが多分にあるように感じます。
集団で生きるためにはそれぞれの個性を活かすことと同時にそれぞれの弱みを互いに補う必要があるのだと感じています。
残念ながら芸術家は芸術の才能にたけ、芸術や文化を作ると言うことに寄与するための個性があるために商才を同時にもつことが少ないです。
(そもそも何かを生み出し、その生み出したものを誰かに伝えようとする行為全ては芸術的行為と言えるのでアーティストだろうがビジネスマンだろうが芸術家と言えます。その方向性の違いだけだとも言えます)
でもより豊かな文化と社会を生み出すためには芸術は欠かせません。
文化が発展して社会が豊かになるからこそ企業は反映して永続できます。
そして、様々な人がより大きな価値を得ることができるようになります。
ではどうするのか?
双方がwin winの関係になるためにはどうすれば良いのか?
商才にたける起業人が芸術にたける芸術家をサポートすることで相互に文化を守っていくという社会的通念を生み出せば良いと言うことになります。
こうやって、関係性を理解し他を思いやる心を元に相互に補い合うことで、事業も生活も、芸術も文化も発展してきました。
それがどんどんまずは自分が得ること人を蹴落としてでも豊かになることが善となり周りは敵、競い合うこと、競わせることが価値となっている世の中に疑問と不安しかありません。
そろそろやめにしましょう!
企業の持つ倫理的責任とは??
消極的CSRの経済的責任と法的責任の説明をしました。
それでは積極的CSRの倫理的責任とフィランソロピー的責任とはなんなのか?を書いていきたいと思います。
まず一つ目の倫理的責任とは何なのか?
倫理的責任とは法などの義務によらず、宗教や社会通念によって社会的に共有される価値観によって推奨される責任のことを言います。
例えば
・グリーン購入
(様々なものを企業が購入する際に、環境的負荷の少ないものを選択して購入すること、ただ最近ではグリーン購入法という法律もできているので一部、法的責任にも入るかと思います。)
・メセナ・パトロネージなどの芸術活動支援
(パトロネージとはパトロンの語源になる言葉で、メセナもパトロネージも財政的に芸術・文化を支援することですが、パトロネージは個人的支援と捉えた方が良いかと思います。)
・NPO・NGOなどへの片務的貢献・寄付
・高度のヒューマンリソースマネジメントなど
なぜ、NPO・NGO支援やメセナ・パトロネージが企業の責任なのか?と疑問に思うひとも多いかと思いますが、芸術や文化、社会的弱者や障害のある人々をサポートすることは古くから経済的な力を与えられた責任とされてきました。
ヨーロッパでは貴族階級の人々は積極的にこの活動を推進して今日の西洋文化が維持されています。
日本においてもそれは古くから同じで、タニマチと言う角界のスポンサーも同じようなものです。
また、神社や仏閣への寄付や寄贈も企業は積極的に関与してきました。
多く与えられたものは、個人や企業の倫理観のもとそれを分配して社会の幸福に寄与すると言う価値観は一般的でしたが、残念ながらこの大事な価値はどんどん希薄になっているのが現在だと感じます・・・・・・
個人の権利や利益にばかり目をやる風潮が、義務や責任から目をそらして捨ててはならないものを捨てているようでとても残念に思います。
企業の社会的責任とはどんなものがあるのか? 詳細編
それでは今日から4つの責任についてそれぞれ説明していきたいと思います。
改めて4つの責任とは?
①経済的責任
②法的責任
③倫理的責任
④フィランソロピー的責任
です。
では①経済的責任とは
・企業活動による収益
・出資者に対する収益の配当
・出資者に対する説明責任
・経済的ステークホルダーとの関係維持
・租税公課の貢納など
つまりは商品・サービスを創造して価値を世の中に提供し対価を分配すると言う企業の一番根本にある活動です。
この活動と責任を果たさなければ当然企業として生き残ることはできません。
ここは誰でも「当たり前やん」ってなるので、そんなに説明する必要もないところですね。
ただ収益をあげると言うことが企業の社会的責任であると認識している人は少ないようにも感じます。
この辺りを深く考察してみてください。なぜ責任なのか?
収益をあげるのは、責任と言うよりしないといけないから、そうすることが企業の目的だからと考えている人も多いと思います。
しかし、企業を生み出した時点でそこにはたくさんの関係者が生まれます。
その関係者は様々な形で企業と関係性を結び、ある意味での相互依存を生み出します。
つまり企業を生み出した瞬間に、この相互依存を提供する、提供されると言う約束をこの関係者と結ぶことになります。
この不文の約束に対しての責任が生じます。
そしてこの最たるものが利益をあげて会社を継続していくと言う前提条件がもといあります。
それでは2つ目の②法的責任について書きます。
法的責任には
・コンプライアンス(法令遵守)活動
・環境経営(公害対策等の法令によるもの)
・出資者に対する説明責任
・租税公課の貢納など
以上のようなものがあります。
つまり法律に遵守する責任を言います。
法律には大きく6つあります。
「憲法」「民法」「刑法」「商法」「民事訴訟法」「刑事訴訟法」
これを一般に六法と言う言い方をしますが、その中で企業に大きく関わるのは「商法」です。
ここには企業を運営するに対して様々な法的決まりが書かれています。
これを守っていくと言うことも当然、企業の責任だと言うことは理解できると思います。
ちなみに話はそれますが、法律と憲法とよく混同する人がいますが、全く違うものです。
法律は国家が国民を縛るものであって、憲法は国民が国家を縛るものです。
法律には国民としてこの国で住んでいく人の規則が書いてあり、憲法には国の権力者が国民を守るために守らないといけない規則が書いてます。
この違い意外と知らない人が多いです。
この前提を元にしないと今の憲法改正の議論や憲法第4条の問題なんかも理解しにくいのではないかと感じます。
CSR 企業が社会的に背負う責任とは?
日本的社会貢献の有り様は三方よしに代表されますが、西洋的(現在の社会的)に見るとどうなっているかを少し書いていきたいと思います。
企業の社会貢献は広い意味でCSRと言います。
CSRは
Corporate=コーポレート
Social=ソーシャル
Responsibility=レスポンシビリティ
コーポレートは企業
ソーシャルは社会的
レスポンシビリティはレスポンス(返答する)とアビリティ(能力)とが合わさった言葉です。
つまりは対応力と言っていいと思います。
続けると企業の社会的な対応力となり、もう少しわかりやすくすると企業が世の中の社会的要望に答えることのできる能力と捉えることができます。
では社会的要望とは何か?
あまり、企業は社会から何か望まれているって思って仕事をしている人は少ないのではと思いますが、実際にはたくさんのことを要望されています。
社会からの要望を大きく分けると4つになります。
この4つの責任を企業は背負っています。
①経済的責任
②法的責任
③倫理的責任
④フィランソロピー的責任
さらにこれを2つの側面に分けると①と②を積極的になCSR③と④を消極的なCSRと区分することもできます。
なぜ、積極的と消極的と分けられるかと言うと、①と②は法律的な強制があるとために企業を運営するにあたって必ずしないといけない義務であるからです。
対して③と④は法的な強制力にはないが企業は企業独自の価値観や規範に沿って経営資源を活用して実践するものであるからです。
それでは次回はそれぞれに詳細にみていきたいと思います。
CSV vs 三方良し
昨日はもったいないと言う言葉について書いてきました。
日本の文化はリサイクルやリユースのありようを産み出しやすい環境にあるのは間違いないと思います。
それは泥の文明のところでも書いた通りです。
内に向かう力が強くて改善改良を常として、さらに全てのものに魂があると言うアミニズムが根付いている。
だからこそ生まれたこの「もったいない」と言う感覚です。
そして、もう一つ言うと日本がお家芸的に強いことそれは・・・・・
伝承と伝達です。
それは日本は建国2680年と言う世界で最古の歴史を有することからもわかります。
さらに言うと
創業100年以上経過する企業数は世界で約66000社です。
その中で日本が占める割合は33000社とほぼ50%が日本の企業です。
さら200年以上となると日本が1340社で全体の65%をしめます。
私の会社㈱Kurokawaは66年目です。
企業は継続していくことはとても大事なことだと思っています。
なぜなら企業は公器であるからです。
自分のためのモノであれば自分が得して得られるだけ得たら潰すことも良いでしょうがそうではないです。
ステークスホルダーを意識する経営は日本古来からずっと続いています。
最近の資本主義社会においては残念ながらようやく始まったばかりです。
今もてはやされている考え方はCSVと言われていますが
これは
C=create クリエート
S=shared シェアード
V=value バリュー
の略です。
日本語では共有価値創造と言います。
全てのステークスホルダーが価値の共有ができることを前提とした企業のあり方を言います。
この価値観。
日本が古来からずっと続けています。
日本的な古来から伝わるこれと同じ価値観を三方良しと言います。
売り手よし・買い手よし・社会よしの三方が全てwin・win・winの状態になることを前提とした商いの在り方を言います。
有り難いことに我々の㈱Kurokawaの事業はこの三方良しCSVの価値観を地でいく事業だと言えると感じます。
今の時代においてとても有り難い事業を継承させて貰いました。
感謝!