ようやく㈱Kurokawa歴史に帰ってきました・・・・・

ようやく、昨日の武士道の話は終了です・・・・・・・

 

長かった、㈱Kurokawaの歴史の話から脇道にそれて1ヶ月やりすぎました・・・・・・・

 

今日からまた㈱Kurokawaの歴史について書いていきたいと思います。

 

話が脇にそれる前は、ようやく弊社が国内リユース事業に乗り出した時のお話でした。


先々代から60年以上続いていた故繊維加工業が時代の流れ世の中の流れから大きくはみ出し、斜陽産業化していきました。

 

1番のインパクトはオイルショック


オイルショックは世の中に大きな進化を求めてきました。

 

そして例外なく我々も大きな進化を時代に求められました。


そこで生まれたのが国内リユース事業でした。

 

最初はフリーマケットや店舗の店先を借りる形でスタートした小売事業でしたが、やがてそれが実店舗へと成長し、「かくれんぼ」という小さなリサイクルショップが生まれました。

(当時はリユースという言葉がなかったのでリサイクルショップでした・・・・・)


この辺りまで前回書かせていただいた内容だったのと思います。

 

「かくれんぼ」が生まれた当時は私は小学生でした。


この「かくれんぼ」たくさんの試行錯誤が実施されていました。

 

この試行錯誤があったから今があると言っても言い過ぎではないと感じます。


では続きは次回・・・・・

武士道7つの徳目 最後の忠義

さて、それでは最後の徳目の「忠義」について書いていきます。


この徳目は現代からすると異質なように感じるかもしれません。

 

内容をしっかりと理解すれば現在にも十分通ずるものがあるように思います。

 

もっというと今だからこそしっかりと実践しないとダメな徳目ではないかと思います。


忠義とはそのまま行くと忠誠を誓うという感じです。

 

ただ、ここでいう忠誠を誓う対象が誰なのか?なんなのか?を見間違うと全く違うものになってしまいます。


ここが私は武士道と騎士道の大きな違いなのではないかと思っているところです。


よく武士道と騎士道は似ているものとして話されることがありますが私は似ているが違うものだと捉えています。

 

ともにノブレスオブリュージュの精神が根底にあり、「高い身分はされに伴い義務が生じる」という考えのもと道徳的な精神が定義されています。

 

煉獄さん(鬼滅の刃の主人公)が母親に「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です。責任を持って果たさなければならない使命なのです。」と言われたのに似てますね。


武士道と騎士道が忠誠を誓う対象者は

武士道=国と家

騎士道=国王とキリスト教

この違いが大きな違いを産むのだと感じます。


騎士道では国王に対して命をとして国王がもし判断を間違ったら諫めるという考え方は生まれません。

 

ただ武士道では忠義の対象が国家や家という正しく継承していくものが対象なので、そのために命をかけて正すという行動が生まれます。

 

これが義を貫く対象であり、勇を持って行動することにつながります。


武士道とは死ぬことと見つけたりという葉隠の一節があります。

 

つまりは、「美しく死ぬ」ことが武士の私生感であり、死ぬ時にどうあるかのために今というプロセスを嘘偽りのない自分でいるということなのだと感じます。


皆さんが忠義を誓っているものはなんですか?

自分自身ですか?

自分の上司ですか?

会社ですか?

家ですか?

ご両親ですか?

師匠ですか?

自分のありたいと願う未来ですか?

それとも理想とする世の中ですか?


人がどんな輝きかたをするかは、その人が自分の命をなんのために使うか?その対象の違いだと感じています。

7つの徳目 誠と名誉

さてできれば今日で7つの徳目を終わらせて次にすすみたいと思っていますが・・・・・・・・行けるかな?


続いての徳目は「誠」です。

 

誠・・・・・文字の通りで「言った」ことを「成す」と言う事です。

 

「武士に二言はない」と言う言葉を聞いたことがあると思いますが、二言とは前に行ったことと違うことを言うことを指します。

 

武士にとって嘘をつくことや約束をたがえることはとても臆病な行為と見なされていました。


誠とは信頼を生み出すために必須なものだと感じます。

 

一貫性のある行動、約束を守る、自己管理意識の高さを体現できないと誠の道を貫けないです。


誠実さと真面目は似てひなる言葉です。

 

真面目さとは己の規範に厳しい人誠実さとは相手に対して真心を持って接する人だと思います。


対象が自分なのか対象が相手なのか・・・・・

とても大事だと感じます。


続いての徳目は「名誉」です。

 

これはなかなか今の世の中の名誉という持つ言葉の響きをそのまま捉えると勘違いしやすいように思います。

 

名誉=良い評判を受けるという意味で捉えるのではないかと感じます。


武士道でいうところの名誉とは「恥じない生き方」をするということです。

 

人から笑われる体面が汚れる恥ずかしいと言った羞恥心を大事にすることです。

 

ただこれも人前に立つのが恥ずかしいとか失敗して人から笑われるというものではなく、道徳意識がこの恥の出発点になっています。


武士にとってこの名誉は時に命をかけて守らないといけないものです。

 

生きて恥を晒すよりは名誉のために死ぬ生き方が「切腹」という形に現れています。


またまた長くなったので最後の「忠義」は次回に・・・・・

七つの徳目 「仁」と「礼」

先日は武士道の7つの徳目のうち「義」と「勇」について書きました。


今日は次の徳目である「仁」について書いていきたいと思います。

 

仁とは優しさや思いやりの心のことです。


義と勇は厳格さや強さを表すのに対して仁は弱者に対しての寛容さを表します。

 

特に義と仁は両輪の関係にあります。

 

「仁に過ぐれば弱くなる。ぎに過ぐれば固くなる」

という伊達政宗の言葉を新渡戸稲造は引用しています。


正しさばかりだとダメ、優しさばかりでもダメということだと思います。


そして続いての徳目は「礼」です。

 

礼とは等しく相手を尊ぶ心です。

 

地位や立場で態度を変えるのではなく等しく全ての人へ敬意をはらい生きる心を極めることです。


戦国時代の千利休はこの礼を茶の道で具現化しようとしていました。

 

彼の求めたものは一期一会です。

 

例え人生でこの先会うことがない一度きりの出会いであってもその一度の出会いの中で最上のおもてなしをするありようを大切いしていました。


今日は「仁」と「礼」について書きました。次回はいければ残り3ついきたいと思います。

7つの徳目 義と勇

先日は
武士道とは
「義に生きるとを美徳とし、卑怯に生きることを恥とする」あり方です。
武士道とは
「一生抜くことのない刀を日々研ぎ続ける道」です。
武士道とは
「戦わずして勝つ道」です。

この精神性を生み出す7つの徳目というものが武士道にあります。


その徳目とは
義 勇 仁 礼 誠 名誉 忠義ですという話をしました。

 

それでは 義 勇 仁 礼 誠 名誉 忠義 とはそれぞれどんな意味があるのか?ということをお話しします。


七つの徳目の中で一番最初に出てくるのがこの「義」です。

 

義と聞くと義理と捉えがちですが、武士道でいう義とは正義の義です。

 

正しくあれという教えだと考えても良いかと思います。


社会人としていえば社会の規範やルールに従った社会人と常識を携えて行動することでしょう。

 

ただ武士にとってこの義は命より重いもので、命に変えても守り抜くものを表しています。


この後にお伝えする名誉や忠義もその命を通して守り抜くものであると考えても良いかと思います。


そして2番目に説かれるものは「勇」です。

 

すなわち勇気です。

 

今の社会で勇気というと蛮勇のイメージが染み付いていますが、勇猛果敢に責めることができる姿と勇と行っているわけではなく勇とは義を貫く時に必要な力であり、いざというときに行動できる行動力です。

 

そのため勇を保つためには同時に動じない心を養わなくてはなりません。

 

平常心をどんな時でも保てる力がいざという時に義を守る時に生かされます。


それでは、次回は「仁」からいきます。

武士道とは?

ようやく武士道の内容に入っていきます・・・・・

 

長らくお待たせしました。


一般的に侍が誕生したのは平安時代と言われています。

 

元々は貴族の警護にあたる人でした。

 

さぶらいという言葉が語源でした。

 

それが常に武器を携帯し武力を行使する身分のさして武士という階級が生まれました。


平安時代から室町時代南北朝時代をへて戦国時代そして江戸時代で確立していきます。


江戸時代には儒教をベースに朱子学陽明学を取り込み神儒仏(神道思想、儒学思想、仏教思想)の三つの思想を統合して今の武士道は形作られています。


神道=感謝と尊重の教えを

儒教=道理と人道の教えを

仏教=真理と法則の教えを統合して武士道精神が生み出されました。


武士道とは

「義に生きるとを美徳とし、卑怯に生きることを恥とする」あり方です。


武士道とは

「一生抜くことのない刀を日々研ぎ続ける道」です。


武士道とは

「戦わずして勝つ道」です。


この精神性を生み出す7つの徳目というものが武士道にあります。

 

その徳目とは

義 勇 仁 礼 誠 名誉 忠義です。


この徳目を次回を説明していきます。

違和感を感じる生き方をしないために

武士道の続きを今日も書いていきたいと思います。

 

会社の歴史を書いていたのに脇道をそれてだいぶん違う内容になっていますが、遠慮せずにガンガン脇道にそれていきます。


生き方の原理原則の中心においた方が良いあり方としての武士道とは?


これはあり方なので普段私が使う法則とは少し違っています。

 

法則は原理原則の原理の部分です。

 

原理とは物事を成り立たせている性質のことで、原則とはその性質を元に人間が決めて規則のことです。

 

原理に基づいた原則なので普遍的なあり方を示すものが多いですが、あくまでも原理自体ではないので気をつけてください。

(ちょっと難しすぎて何を言ってるかわからないでしょうが大事なことです)


その前提で武士道を見ていきます。


武士道とはそのまま見ても分かる通り武士の道です。

 

武士としてのあり方を示しています。

 

そしてこれは日本人らしいあり方を示していると私は解釈しています。

 

日本人のDNA的にこのあり方をしっかりと体現できると活き活きとして人生が歩めるのではないかと感じています。


肉体が嫌がる生き方をすると違和感を感じます。

(何故なのかわからないが気持ちが悪い感じです)

 

その違和感がやがて不安感となり、さらに不満となって他者を攻撃し始めます。そしてどんどん自分の軸を失い他責になる・・・・・・


つまり違和感のない生き方をするための指針が日本人なら武士道が非常にわかりやすいと思います。


またまた、武士道自体の説明を書くまえに前置きくが長くなってしまいました・・・・・・


次回に続きます。