弱肉強食・・・・・・・のままでいきますか?

昨日、企業の倫理的責任のことに触れました。

 

その部分についてもう少し補足したいと思います。

 

ちょっとセンシティブな部分ですが誤解を恐れずに書きます。

 

社会的通念により強いものが弱いものを守ると言う姿勢はごくごく当たり前の感覚だと思っています。

 

強いとか弱いとかを書くと敏感に反応する人がいるかもしれませんが、あって当然だと感じています。

 

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それは、人それぞれその人の人生に合わせた特性を持って生まれてくるからです。

 

そして、それぞれに役割を担います。

 

ループしますが役割はその個人の特性によって割り当てられるます。

 

その中で、人には強みがあり弱みがあり、得意があり不得意があるのだと思います。


最近ではこれを奇妙な個人主義を主体として平等・公平を間違って解釈して、変な平等主義に走ることが多分にあるように感じます。

 

集団で生きるためにはそれぞれの個性を活かすことと同時にそれぞれの弱みを互いに補う必要があるのだと感じています。

 

残念ながら芸術家は芸術の才能にたけ、芸術や文化を作ると言うことに寄与するための個性があるために商才を同時にもつことが少ないです。

 

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(そもそも何かを生み出し、その生み出したものを誰かに伝えようとする行為全ては芸術的行為と言えるのでアーティストだろうがビジネスマンだろうが芸術家と言えます。その方向性の違いだけだとも言えます)


でもより豊かな文化と社会を生み出すためには芸術は欠かせません。


文化が発展して社会が豊かになるからこそ企業は反映して永続できます。


そして、様々な人がより大きな価値を得ることができるようになります。


ではどうするのか?

双方がwin winの関係になるためにはどうすれば良いのか?


商才にたける起業人が芸術にたける芸術家をサポートすることで相互に文化を守っていくという社会的通念を生み出せば良いと言うことになります。


こうやって、関係性を理解し他を思いやる心を元に相互に補い合うことで、事業も生活も、芸術も文化も発展してきました。

 

それがどんどんまずは自分が得ること人を蹴落としてでも豊かになることが善となり周りは敵、競い合うこと、競わせることが価値となっている世の中に疑問と不安しかありません。

 

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そろそろやめにしましょう!