あなたの服がなぜ安いのか? パート②
ラナ・プラザの悲劇から7年近くが立ちますが、この事故は単にビルの建築のずさんさを物語るものではなく、我々のあくなき欲望が生み出した消費国の過失です。
このビルにはたくさんの労働者が働いていました。
そしてそこで作られていた商品は、彼らが彼らの国で消費するために作っていたものではないです。
バングラディシュはすでに中国に次いで世界第2位の製造国となっています。
つまり、ここで作られていたものは日本を初め世界の先進国へと輸出されていくものです。
そして当然、安く大量に商品が欲しい国は安く大量に作るように製造国へ圧力をかけていきます。
圧力をかけられた製造国は今度そのつけを労働者へ払わせようとします。
その圧力は、低賃金、重量労働、長期労働、そして児童労働を教養していきます。
当然、子供にも役割があり昔は家の手伝いをするのは当たり前でした。
それは役割を果たすと言う意味での労働で誰かから搾取されるためではなかったはずです。
でもこの労働環境を強いている雇用主にそしてその商品を散財している私たちに搾取される立場となっています。
つまり、私たちがより安くより大量にと求めて散財しているものは手に入れているものを通して搾取したアジアの労働者の労働力であり、時間であり、命です。
これは衣類に限ったことではありません。
食べ物もかなり問題は根深いです。
なぜなら、食べ物の農園はプランテーションと呼ばれ植民地支配当時の名残りを色こく継承しているからです。
現在でも同様に児童労働等が平気で行われている事実があります。
我々の豊かさは誰かの上に成り立ってます。
その誰かになる可能性が高いのはより力の弱いもの発言力の弱いもの立場の弱いものです。
さらに私たちは人から以外もたくさんのものを搾取しています。
次回はそこについて描いていきます。