「人」が活かされる会社

経営の原理原則

公益性と経済性の両立

変えてはいけないものと変えなければいけないものを守る


そのほかに原理原則らしきものはたくさんありますが、私がこれに追加して上げているのは「人」です。

 

「人」=そこで働く人が活かされることが経営の原理原則だと感じています。


前にも書きましたが、企業は法人です。

 

法人格という人格を備えた生き物です。

 

その生き物を形成している生き物の組織が「人」です。

 

それぞれに人格や個性を備えた人が集まり一つの塊となって会社という人格を形成しています。


会社の人格をより豊かに、美しくするためにはどうすれば良いか?

 

それは、会社の人格の最小単位であるそこで働く「人」の人格形成が豊かに美しくなれば当然、集合体である会社の人格もそうなります。


つまりは「人」が自分がいきいきと活かされるためのあり様を身に付けることができればその個人は豊かに美しくなれます。

(ここでいう美しさとは美人や美男子ではなく人間としてのあり方の美しさです)


少し逆説的な考え方ですが、会社は「人」を活かすことを前提に全てを組み立てなかればならないと感じています。


しかし、最近では搾取を前提にしているのではと感じてしまう会社も多くあるように感じます。


では具体的にどうすれば人が活きるのか?を生きることの原理原則について書きながら話していきたいと思います。

不易流行・・・・・よく聞く言葉だけど

公益性と経済性の両立に続いて、今日は不易流行について書かせてもらいたいと思います。


この「不易流行」ものすごく大事です。

 

この考え方の根っこは生きたたの原理原則の根っこと通ずるものがあります。

 

ここでは経営の原理原則としての「不易流行」で捉えて書きたいと思います。


この「不易流行」は元々は俳諧の言葉で、松尾芭蕉が言い始めたそうです。

 

物事の新古を超越した落ち着きのあるものを不易とし、そのときどきの好みにしたがって斬新さを出したものを流行として解かれています。

 

しかし、この流行追い続け常に変化し続けること自体が不易であるために不易と流行は結合した一つの言葉です。


この感覚でよく引き合いに出されるのが老舗の和菓子屋さんです。

 

何百年続く和菓子屋さんはいつも変わらぬ味を提供しています。

 

だからこそお客様に愛され続けます。

 

しかし、何百年続く和菓子屋さんは常に味を変えることが当たり前となっています。

 

その時代時代に合わせて微妙に味を変化させることにより、変化しないと生み出しています。


時代により人間の舌や味覚は変化していきます。

 

好みも変わり世の中全体の傾向が変化します。

 

その変化を察知して変わらぬ味になるよう組み込むことで変化しないを生み出す。


どんな事業にも変えなけらばならないものと変えないといけないものが必ず存在します。

 

何を変えていき

何を変えないのか?

これを掴んで守り抜くことが経営の原理原則の一つだと思います。


ただし、これはわかっていてもとても難しい・・・・・・

何が難しいかと言うと変えてはいけないものを認識することです。

これを掴めるかどうか?で軸のあり方が大きく変わります。

公益性を詳細に考えてみる

経営の原理原則の続きを今日も書いていきたいと思います。


昨日かいた公益性についてもう少し補足しておいた方が良いと思ったので書きます。


公益性・・・・・・

言葉は聞いたことはあるけどいまいちピンとこない人も多いと思います。

 

また最近はこの言葉の定義も大きく広がっていると感じます。


公益性とは何か?そのままの定義でいくと

「不特定かつ多数の人の利益の増進に寄与すること」となっています。

 

簡単にいうと「多くの人に役立つこと」です。


この定義はあくまで「人類」が対象です。

 

ただこの対象の範囲がどんどん広がっています。

広がり続けています・・・・・・・


「人類」の定義には社会やコミュニティー、生活環境など人以外にも範囲は含まれます。

 

ただ、今の世の中は公益性を問うときにこの範囲だけでは不十分になってきています。


ここに加えて、動植物や自然や大気や河川など地球上のあらゆるものがその範囲に含まれます。

 

なぜなら、すべてのものは循環してめぐりめぐっているからです。

 

これに気づいた最近の経済が本当に「人類」の豊さを築くときには全体のバランスをしっかりとみないと誰も豊さを得ることができなくなると結論づけています。


しかし私はこの感覚は若干の違和感を感じます。

 

日本人の本当の文脈から言うとこの根っこは「八百万の神」にあると感じます。

 

すべての命は上下の区分なく無分別に存在して、敬うべき物であると言う前提です。


私はこちらの方が美しい考え方であるように感じます。

 

やはり、「人類」が主語になる公益性では真の豊さを築くことはできないのではないかと思います。

論語と算盤

経営の原理原則について企業の存在理由を明確し、それを体現していくことが原理原則の基礎だとお伝えしました。


さらにいくつか原理原則と言えるものがあります。

 

論語と算盤この言葉を聞いたことのあるひとは多いと思います。

 

でも、世の中に価値を提供し続けることを前提とする企業としてこの「し続ける」上でとても大事になる原理原則はこの「論語と算盤」であるようにも感じます。


論語と算盤」とは日本の近代資本主義の大実業家とも言える渋沢栄一氏が提唱した言葉です。

 

もちろん基礎となる考え方はずっと以前から存在しますが「論語と算盤」というわかりやすい言葉にされたのが渋沢氏は今の東洋紡をはじめ銀行業など500もの企業の立ち上げをされた実業家です。


それだけでなく600近くも社会事業にも携わりっています。

 

社会福祉事業や日本赤十字の設立にも大きく関与されていたそうです。


彼が発した「論語と算盤」という言葉を別の言い方で表現すると「公益性と経済性」となります。

 

企業はこの公益性と経済性の双方を統合していくことで愛されて長く継続することができるようになると解いたわけです。


この考え方は日本の今の滋賀である近江の地に古くから受け継がれている(もっというと日本の商いのベースとなる考え)三方良しと同じ物だと思います。


儲けだけで、自分だけではなく、企業も顧客もそして社会もよくなる総和が取れたあり方を企業の第一優先とする考え方は運営方針としての原理原則だと感じます。

 

経営の原理原則

原理原則シリーズの経営の原理原則を書いていきますね。

 

これはめちゃくちゃハードル高いお題を上げてしまいました・・・・・・


私みたいな若造が軽々しく書いては行けないやつですが、あえて書いていきたいと思います。


経営とは何か?自分なりの解釈は「使命」を果たすことを通して、社会と顧客に価値を提供することで利益を得て継続することだと考えています。


会社のことを「法人」といいます。

 

社会の通念として会社も人格をもつ人だという定義になっています。

 

当然だと感じます。企業もたくさんの人が集まり、その意識の集合体が企業になります。

 

つまり物理的に企業は生命の集まった大きな塊としての生き物だと捉えて良いと思います。


そして、生き物であるとするならば、そこには意識があり、意識ある生命には意識が向かう先である意図が必ず存在します。

 

その意識の意図こそが使命であり、集合意識である会社の存在理由です。


存在理由を明確化させてそれに向けて組織全体が躍動させていくことこそが経営の原理原則だと考えています。


そのためのあり方として重要な原理原則は

論語と算盤

三方良し

不易流行

人を活かす(人が活きる)

ということがあります。


次回はこの辺りを書いていきますね。

楽しむのがリユース

物を買い取るのも売るのも「感情」をどうやって取り扱うのか?

 

「感情」をどうやったら最大にしてあげることができるのか?を考えることだと書いてきました。


私たちの場合は、買取では「もったいない」という感情を取り除いてあげることで不満を解消しています。

 

そのためにお持ち込みいただいた物を全て引き受けてかつ何かに役立てるということをしています。


ゴミ箱に入れてしまえばゴミとして燃やされる。

 

そんな後ろめたい罪悪感を無くして差し上げることこそが私たちの買取の役割です。


では、販売の方ではどうでしょうか?販売は「お得に買う楽しさ」を味ってもらう物だだと思っています。

 

そして「自分だけのものを見つける楽しさ」を味ってもらう物だと思っています。


リユースの販売はこの楽しさを外しては成り立ちません。

 

どこにでもある物。誰でも定価で買える物。大量に同じ物はリユース業では価値を産まないです・・・


リユースの価値は一品一様の価値。同じものは二度と手に入らない。

(例えそれがボロボロの物でも)

 

「得した」「見つけた」という付加価値が乗り一品一様の特性が大きく増加します。


だから1年のレジ通過回数が400回を超える様なスーパー顧客が生まれるのだと感じます。


楽しさを味わえないリユースリユースにあらずです・・・

物を売るということとは?

昨日は買取の際の気持ちについて書きましたが、これは販売=物を売るという時にも同じだと感じています。


何かを売ると言うととかくその物に事態にフォーカスするあまり本質を見落としがちになります。

 

実際に物を買った人が最終的に手に入れるものはなんでしょうか?

 

当然、服を買いに行けば服は手に入ります。

食べ物を買いに行けば食べ物も手に入ります。

おもちゃであればおもちゃ。

文房具であれば文房具。

提供されているものは確実に手に入ります。


しかし、最後に手に入るものはと言うと実はその物自体ではありません。

 

最終手に入るものはその物を通して体験した経験とその経験から得た感情です。


例えば服を買いに行きます。

 

当然、その服を買う目的があります。

 

寒くなったから普段着る用の防寒着を買いに行くのか?

それとも誰かの誕生日が近いのからプレゼントのドレスを買いに行くのか?

彼氏、彼女とデートに行く予定があるのでその時に着る服を買いに行くのか?

たくさんの目的があってその用途に合わせて服を書います。


そして、その服をきてその目的を果たして感情を手に入れる。

 

防寒着を着て=あったかい

プレゼントを渡して=喜んでもらえて嬉しい

デートに来て行って=褒められた

つまり味わえるのは「感情」だけなんです。


商売はこの感情を最大にすることが価値を有無ということだと思います。

 

いかに相手を喜ばせることができるのか?

 

相手の予想の斜め上をいくアイデアや仕組みを作ることが商売の原理原則。


それが奇抜な発想の時もあれば、当たり前のことを当たり前以上にするということもある。

 

ただそれだけですね。

それだけだからこそ難しい。