情報から価値を生み出すために
先日から続いている重要な情報についてさらに続けますね。
重要で価値ある情報は面授でしか受け取ることができないと言うところもう少し説明したいと思います。
そのために一つエピソードを紹介します。
この二人は共に唐へ渡り密教を学び、最澄は天台宗を空海は真言宗を開いた僧侶ですが、唐に渡るまでは最澄は桓武天皇(かんむてんのう)の信頼を得た高僧でした。
一方空海は、出自は地方貴族でも僧としては無名でした。
後に最澄は空海の弟子となり教えを請う関係となりましたが、あることがきっけで最澄と空海は袂を分かつことになります。
それ「理趣釈経」の経典の借用を申し出た最澄に対し、空海がそれを断ったことに端を発します。
この「理趣釈経」は密教界の秘奥の書、禁断の書と言われています。
理趣経を空海の密教の師にあたる不空が解説した書と言われていますが、それを最澄が貸してくださいと空海にお願いしたところ、この書は文字で読み取って得ることは不可能です。修行を通してのみ習得が可能なものなので貸すのは無理だと断りました。
これをきっかけに、二人は関係を閉ざしてしまったのですがこの時、空海は何を言わんとしたかったのか?が面授でのみ手にすることができる重要な情報の意図が潜んでいると感じます。
情報は広義な意味が含まれると先日のお話をさせていただきました。
それをあえて重要か重要でないかで区別したともお伝えしました。
さらに付け加えると情報が価値を持つ瞬間が大事です。
重要な情報も活かされなければ無価値です。
つまり情報とは、データ(無意味な記号)<情報(意味を持った文字)<知識(重要性を持った文章)<知恵(価値生み出すもの)となります。
つまり知識が価値を生み出した時に初めて情報は本当の意味を持ちます。
世の中には情報は山のようにあります。
ただ、そのたくさんの情報を知恵として活かせるかと言うと残念ながらほぼ全て無価値のままです。
いくら高い知識もいくら大切な情報も活かすためには身につけなくてはなりません。
そして身につけるためには、その情報を発した人間との信頼関係の構築が不可欠です。
(そもそも、自分の人生を変えた本質的なことは信頼関係が無いと伝えられないし、そのレベルの知恵は言語化できません。言葉にするとどうしても不完全になります。)
なぜなら何度も何度もその情報を体に通すと言うことを体感しなければ実は手に入らないです。
言い換えると何度も何度も信じて繰り返し、失敗と成功を積み上げないと情報が価値を生み出す瞬間に出会えないです。
その瞬間までやり続けることができるかは、その情報元との信頼関係の強さに比例すると言うことです。
(あの人のいうことなので信じてやり続けてみよう!!っという感じです)
でも、いつの世もデータの数、情報の数を競い合い、その量で安心して、またその情報得て喜ぶといことを繰り返しているような氣がしてならないです。
最澄は天才が故に頭で捉えてわかったような氣がしていたのでは無いかと感じます。
最澄も必死で学び挑んだと思いますが、自身の知識に不完全さを感じて空海の弟子になったのでしょう。
彼の才能は密教に留まらず医学・薬学・土木・天文学・地質学・筆作りへと多岐にわたるマルチ人間でした。
実業家としての側面もあり灌漑事業に関しては大きな功績を残しています。
この違いは面授を常としていた空海と筆授を中心としていた最澄の違いでは無いかと感じます。