本当の情報を知るために!
前々回から続く空海と最澄の話の続き私にとっての重要な情報についてもう少し書いていきたいと思います。
重要な情報も価値を生み出さないと無意味になると書きました。
そして価値ある情報は体を通して活かさないと知恵にまで昇華することができないことについて書きました。
前に「決めつけると閉じちゃう」にも書きましたが、脳は高性能ですが、かなりおバカなところがあります。
基本、錯覚して物事を捉えます。
錯覚しまくります。
なので、物事をそのままに受け取ることは不可能です。
必ず主観が入りフィルターにより脳が変換させます。
また、伝えている側も伝えている側で自分自信を完璧に客観視してみて伝えることは不可能です。
なので出す言葉自体も主観的になります。
こうやってコミュニケーションにギャップが必ず生まれます。
では文字に起こしてマニュアル化していけば良いかといえばそうでもないです。
例えば超一流のプロ選手の打つ秘訣をマニュアル化できると思いますか?
例えば超一流の将棋のプロの将棋の打ち方をマニュアル化できると思いますか?
例えば超一流の料理人のレシピをマニュアル化できると思いますか?
文字にも限界があります。
超一流の方々は全て体験を通して今ある技術を身につけています。
そして、何千回、何万回、何億回の反復を通して身につけています。
それは言葉にはならないものです。
この体を通した得た経験値こそ本当の意味で重要な情報だと感じます。
経験値なのでなかなか言語化できませんが、たまにこの経験値を非常にわかりやすい言葉で万人に向けて伝えることができる人がいます。
でもそれを受け取る方にその人と同じレベルの体のあり方がないと理解できないし、それをそのまま活用することはできないはずです。
ならば、どのようにその価値を手に入れるのかというと・・・・・・・
プロセスを知る事にあります。
そして、その生み出している最小単位まで割り戻した基本のやり方を知る必要があります。
どうやってその結果を生み出すことができるようになったかというプロセス。
そして、そのプロセスの中で手に入れたその基本、原則、法則。
これに価値があります。
どうしても、焦って結果にフォーカスしすぎるあまり、早く結果を求めすぎるあまり、大事なものを見逃してしまいます。
結果ばかりを追い求めてしまいます。
この原理原則=法則こそが私の中で重要で価値ある情報です。
そしてこの原則は面授でないと手に入らないです。
聞いたとしても聞いただけで終わり活用できないものになります。
そろそろ、面授の重要性を我々は思い出さないとダメなのではと思います。
私たちには古来よりこの面授の重要性を理解してそれを形にしてきた文化がたくさんあるます。
それを今の世の中の形にあった方法で蘇らせる必要があるのではと感じます。
合宿や共同体、そこから生まれる信頼関係。
師弟制度や家制度、そこから生まれる伝承伝達。
こうやって本当に重要なものは人から人へ、家から家へと繋がっていっていたのだと思います。
今こと新しい価値観であるオンラインと私たちがずっと受け継いできたアナログの繋がりを融合させる時ではないかと思います。