武士道7つの徳目 最後の忠義

さて、それでは最後の徳目の「忠義」について書いていきます。


この徳目は現代からすると異質なように感じるかもしれません。

 

内容をしっかりと理解すれば現在にも十分通ずるものがあるように思います。

 

もっというと今だからこそしっかりと実践しないとダメな徳目ではないかと思います。


忠義とはそのまま行くと忠誠を誓うという感じです。

 

ただ、ここでいう忠誠を誓う対象が誰なのか?なんなのか?を見間違うと全く違うものになってしまいます。


ここが私は武士道と騎士道の大きな違いなのではないかと思っているところです。


よく武士道と騎士道は似ているものとして話されることがありますが私は似ているが違うものだと捉えています。

 

ともにノブレスオブリュージュの精神が根底にあり、「高い身分はされに伴い義務が生じる」という考えのもと道徳的な精神が定義されています。

 

煉獄さん(鬼滅の刃の主人公)が母親に「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です。責任を持って果たさなければならない使命なのです。」と言われたのに似てますね。


武士道と騎士道が忠誠を誓う対象者は

武士道=国と家

騎士道=国王とキリスト教

この違いが大きな違いを産むのだと感じます。


騎士道では国王に対して命をとして国王がもし判断を間違ったら諫めるという考え方は生まれません。

 

ただ武士道では忠義の対象が国家や家という正しく継承していくものが対象なので、そのために命をかけて正すという行動が生まれます。

 

これが義を貫く対象であり、勇を持って行動することにつながります。


武士道とは死ぬことと見つけたりという葉隠の一節があります。

 

つまりは、「美しく死ぬ」ことが武士の私生感であり、死ぬ時にどうあるかのために今というプロセスを嘘偽りのない自分でいるということなのだと感じます。


皆さんが忠義を誓っているものはなんですか?

自分自身ですか?

自分の上司ですか?

会社ですか?

家ですか?

ご両親ですか?

師匠ですか?

自分のありたいと願う未来ですか?

それとも理想とする世の中ですか?


人がどんな輝きかたをするかは、その人が自分の命をなんのために使うか?その対象の違いだと感じています。