近江商人と三方良し
継続していくことが企業として大事なことと昨日書きました。
なぜなら、人間がたくさんの関係性でできているように企業もたくさんの関係性からできているからです。
ステークスホルダーと言う言葉を聞いたことありますか?
これは企業・行政・NPO等の利害と行動に直接・間接的な関係を有する者を指します。
企業には間接・直接の利害関係社がこれだけたくさん存在します。
つまり、企業は一人で成り立つものではないと言うことです。
仮に企業を継続・継承していかないと言う選択肢をとった場合、この利害関係社全ての関係を無視すると言っていることと同じことと言えます。
皆さんへどこまでのステークスホルダーを意識して日々の仕事をしていますか?
さらに突っ込んでいくとSDGsと言う最近大企業が最も力を入れているエリアにもなってきます。
CSVの前に前提条件としての企業の社会的貢献のあり方の変遷を説明していかないといけません。
企業の社会的責任についてはそんなに新しい考えではありません。
日本で言えば三方よしの考えが生まれたのは近江の地でその起源は中江藤樹まで遡ります。
藤樹は江戸時代の陽明学者で近江聖人とも称えられています。
江戸時代前の織田信長が開いた楽市楽座から近江の地に既得権を排した商いが生まれ、そこに陽明学の思想が相待って近江商人の文化が花開きます。
ちなみに近江商人の流れを組む企業はたくさんあります。
西武鉄道・西武グループ・セゾングループ、高島屋伊藤忠商事・丸紅、住友財閥、日清紡。東レ、ワコール、東洋紡、トヨタ自動車、日本生命保険、武田薬品工業、ニチレイ
日本の名だたる企業が実は近江商人の流れを組んでいます。
つまりは実はこの三方良しを是し社会貢献を未来とする企業の在り方は日本ではごくごく当たり前に江戸時代から脈々と続いています。
では、日本以外の国もっと言うと最近の欧米型の資本主義に塗れてしまっている日本の考え方はどのようになっているのかを次回書いて行きたいと思います。
ヤンチャな龍馬
長崎出張の続きをもう一本・・・・・・
長崎での更なるイベントは・・・・・
「花月」!
創業378年になる長崎の料亭。
建物自体が史跡となっています。
庭園はすごいし、部屋はすごいし、料理は美味しいしでやばかったです。
そしてさらに何がヤバイかと言うとこれ↓
坂本龍馬が酔ってふざけてつけた刀傷です。
この料亭はあの坂本龍馬が愛して通ったところだそうです・・・・・
坂本龍馬。
言わずと知れた明治維新の重要人物。
坂本龍馬にはいろんな説がありますが、明治維新の空気を感じながらの食事は最高に高まりました!
明治以来の大変革が今、世の中で起ころうとしています。
この歴史的胎動を感じていますか?
ゾクゾクしますね。
新しい世の中を産み出すのは次の世代だと思いますが、その彼らに何を残して何を繋いでいけるのか!
いつも問いかけています。
「きゃあまぐる」って気絶するほどえらくきついと言う意味です
たまには息抜き・・・・・・・
ちょっと堅苦しくない話・・・・・・
最近、ようやく出張が増えてきました。
以前は月のうちだいたい四分の三を出張についてしてました。
でもコロナ禍で先月まではほぼ自宅と事務所の往復の日々。
働き出してから、全く経験のない日々を過ごしたありがたい時間でした。
こんな時間を過ごせるのもコロナのお陰様です。
先日は、長崎に行ってきました。
長崎は私の師匠の誕生の地で去年ぐらいから師匠とご一緒させてもらってます。
終日雨の予報も外にいる時はパラっと降る程度ほぼ雨の影響を受けず行けました。
そして、長崎といえばここ、仲間と一緒に朝から10本ダッシュを行ったのが、長崎の変電所前、きゃあまぐる坂!
最大傾斜30%!角度にすると16.7度の坂!
もう壁です。
これを二日間。
毎朝10本・・・・・
走ると言うより登山でした・・・・
来年はダッシュで10本駆け上がれる足腰作ります!
日本人のもつ感性が世界を変える一つのキーワードになる日が必ずくる!
日本人やアジア人が持ち得ているアミニズムからくる多神教的な感覚が「もったいない」という言葉を生んだと言う話でしたが・・・・・・
実は・・・・・・
もったいないとは実は日本語にしかない表現です。
英語や他の言語にも近い言葉はありますが、なぜ正確に訳せないかと言うと「もったいない」にはたくさんの意味が込められているからだと感じます。
辞書的に言うと
神仏・貴人などに対して不都合であること
不届きであること
過分のことで畏れ多いこと
かたじけない
ありがたい
無駄になることご惜しい
つまり、他の言語ではその奥にある深い意味までは正しく訳すことができない言葉です。
語源は仏教用語の「勿体(物体)がない」と言う言葉から来ています。
「勿体」とは「物体」書きますが物のあるべき姿やその本質的な価値と言う意味です。
これが派生して「重々しい」「尊大な様」と言う意味ないなっています。
つまり、この言葉には本来あるべき姿をおしみ嘆く心が含まれています。
全てのものに命を感じ、哀れみや嘆きを覚えることができる日本人ならではの言葉だと思います。
アフリカのワンガリー・マータイさんという方がこの言葉に含まれる地球資源に感謝し、そして深い敬意を表すという意味に触れMOTTAINAI運動というのをスタートしました。
わざわざ活動の名前にこの言葉を使ったのは、この言葉のもつ深い意味があったからだと思います。
私たちのDNAにはこの感覚を理解する感性があります。
そして、全てのものに命を感じてそれを知覚的に統合する能力があります。
この感性はモノが無闇に捨てられ活かされず、その負の循環が自分たちの首をしめ、子供達の未来を奪うことになっている現在を大きく変化させるとても大きなキーワードになるのではないかと感じます。
そんな感性を持たせていただけたことに感謝です。
内へ内へ向かうアジア人 外へ外へ向かう欧米人
昨日に引き続き文明の起源について書いていきます。
この欧米(国に文明の起源としていうとヨーロッパ)は石の文明とされています。
なぜ、石かと言うとヨーロッパはそんなに肥沃な大地がなく大部分が硬い岩盤の地層でてきているそうです。
そのため大きな木が育たないので家も自然と石作りとなりました。
加えて大地が肥沃ではないので農業に適しておらず牧畜が盛んになりました。
牧畜は農業と違って1箇所の収穫高を高めると言う手法は取れません。
家族が増えコミュニティーが大きくなって規模の拡大をしようと思うと牧場を大きくする必要があります。
つまり土地を開拓していく必要が出てきます。
これが、西洋の外へ外へむかうフロンティアスピリッツを生み出し、大航海時代を経て世界へ西洋文明を広めて行った原動力となりました。
もっと言うと現在ではそれが宇宙までそれが及んでいます。
(このことは深い意味合いがあるののでまた書きたいと思います)
これが石の文明ですが、ではアジアの文明はどんなものなのか?
砂の文明、石の文明ときて最後は泥の文明です。
アジアは泥の文明とされていますが、アジアで泥は生命の起源とされています。
そして、日本を初めアジアの地層は柔らかい泥(粘土質)でそれを固めて行き、今の文明が生み出されています。
(さらに縄文土器を初め陶器なども泥から生み出されています。)
大地がどろや粘土質なため植物は大きく根をはりしげるようになります。
さらにそこには生物の多様性が高まり豊かな自然が生まれます。
その恩恵に我々は依存して暮らすようになります。
ただ、その自然は時に猛威を振るうこともあります。
めぐみを与えてくれて存在であると同時に人々を苦しめる存在でもありました。
そんな経緯から嵐や地震、雷など自然現象や自然そのものに信仰心が生まれて、アミニズムが生まれていきます。
泥の文明では、この豊かな自然を背景に農業が盛んになります。
そして石の文明とは違い、拡大させていくために一つの場所を改善を重ねて収穫高をあげていくと言う、うちへうちへ向かう力が高まって行きました。
日本人がイノベーションよりも改善や改良が得意であるのはこんなところに起因しています。
これとは逆に欧米人が外へ外へ向かう力が強く、コミュニケーションのあり方もこれに合わせた形になっています。
社交的に欧米人・・・・
内向的なアジア人・・・・・
少しアジア人、日本人のことが理解できましたか?つまりはこれも自分を知ると言うことです。
自分がなぜそうなのかを知ることはとても大事です。
さらに深めていきましょう!
文明の起源には3つあるそうです! 砂 石 そして泥
今日は昨日の日本の神話とアミニズムの話をさらに深く入ってその日本神話の価値観が生まれたベースはどこにあるのか?について知っていることを書いて行きますね。
ここから書く内容は松本健一さんという方が書かれたこの↓本を参考にしています。
世界を大きく3つに分けるとすると
「砂の文明」
「石の文明」
「泥の文明」
に分けることができます。
そして石の文明とはヨーロッパを中心として西洋諸国のことです。
そして泥の文明というと日本を含めたアジア諸国になります。
それぞれの文明が出来上がって経緯を読み解くと我々の価値観が、なぜその傾向にあるのかを理解することができてきます。
まずは砂の文明について書きます。
砂の文明は砂漠の文明でもあります。
あの広大な砂漠で重要になってくるものそれはオアシスです。
どこに水があり食べ物があるのかを知ることは砂漠で住む住人はとても大事なものです。
そして水がどこにあるかという情報が最も大事とならり今日のイスラムのネットワーク文明が生まれています。
イスラム系の人は遊牧します。
オアシスと食を求めて移動しています。
イスラム文明の強さはこのネットワークから生み出される情報にあります。
さらにいうと一神教を生み出したのもこの地です。
砂の文明のイスラム文明は一神教である、元々はユダヤ教という宗教が生まれます。
砂漠という不毛の大地において救いを外に求め強い求心力を生み出す必要性から絶対神
を生み出しました。
なぜならその求心力がなければ民族を統一できず砂漠の地で生き抜くことができなかったと考えられるからです。
そしてエルサレムにユダヤ人のキリスト(神の子)からキリスト教(絶対神は同じくヤハウェ)が生まれ、メッカにおいて預言者としてヤハウェの言葉を伝える人としてムハンマドがイスラム教を生み出して行きます。
つまり、元を正すと全て同じ宗教ですが・・・現在では互いに反発しあい争いを生んでいます。
いつのよでも正義と正義は反発しあい争いを産みますね。
奇妙なことですが、世の中で起っている争いの大半はそれぞれの正義と正義が反発しあって生まれます。
一面的にみると悪と正義の戦いのように感じますが実は本質は違います。
この辺りを正しく理解できると自分のあり方を正し、さらに人との関係を正すことが容易になってくると感じます。
もったいないとアミニズム
私たちの「もったいない」と言う道徳観はどこからきたのでしょうか?
ベースはアミニズムと言う価値観にあります。
アミニズムとはなんなのか?
簡単に言うとそれは全てのものに魂が宿り、ありとあらゆるものに霊性があるとする考え方です。
ものを大切にしようという考え方とは大きな意味では全ての命を大事にしようと言う考え方です。
今では少しこの価値観は薄くなってきていますが、これが私たち本来のあり様です。
(つまり、私のやっているリユース業とは本当に日本人らしい仕事の形態だということなんですね。有り難い)
このアミニズムはどうやって生まれたかと言うとそこには神話とその神話を生み出す日本やアジアの環境に紐づいています。
アミニズムがどうやって生まれたのか?その起源に神話があります。
(これは以前にも結構書いたので詳細は書きませんね)
簡単に書くと日本の神話では世界を産んだ神様は「アメノミナカヌシ」と言う神様で、この神を中心に「タカミムズビ」と「カミムズビ」と言う神様が生まれてスタートします。
そこからたくさんの神々が生まれた後に私たちの馴染みの神様である天照大御神からイザナミとイザナギと言う日本を産んだ神様に繋がります。
そしてアミニズムに繋がる大事なところはここからです。
ここから様々な神を産んでいくのですが、それが全て物や自然、国や大地、木々や川などを司る神々が生まれて行きます。
つまりこの時点で私たちを囲む全てを包む環境そのものが神様であると言う前提で進んでいます。
これを「八百万の神」という言い方をします。
八百万とは古来の日本では「たくさんの」という意味なのでたくさんの神々という意味合いです。
全てのものに神様を感じ共生と調和を生み出したのが日本をはじめとするアジアの国々です。
ただ、全ての国がこの様な考え方をしているのではありません。
その環境によって大きく違います。
つまり環境の違いによって生み出されているということです。
次回はこの辺りを書いて行きたいと思います。