7つの徳目 誠と名誉

さてできれば今日で7つの徳目を終わらせて次にすすみたいと思っていますが・・・・・・・・行けるかな?


続いての徳目は「誠」です。

 

誠・・・・・文字の通りで「言った」ことを「成す」と言う事です。

 

「武士に二言はない」と言う言葉を聞いたことがあると思いますが、二言とは前に行ったことと違うことを言うことを指します。

 

武士にとって嘘をつくことや約束をたがえることはとても臆病な行為と見なされていました。


誠とは信頼を生み出すために必須なものだと感じます。

 

一貫性のある行動、約束を守る、自己管理意識の高さを体現できないと誠の道を貫けないです。


誠実さと真面目は似てひなる言葉です。

 

真面目さとは己の規範に厳しい人誠実さとは相手に対して真心を持って接する人だと思います。


対象が自分なのか対象が相手なのか・・・・・

とても大事だと感じます。


続いての徳目は「名誉」です。

 

これはなかなか今の世の中の名誉という持つ言葉の響きをそのまま捉えると勘違いしやすいように思います。

 

名誉=良い評判を受けるという意味で捉えるのではないかと感じます。


武士道でいうところの名誉とは「恥じない生き方」をするということです。

 

人から笑われる体面が汚れる恥ずかしいと言った羞恥心を大事にすることです。

 

ただこれも人前に立つのが恥ずかしいとか失敗して人から笑われるというものではなく、道徳意識がこの恥の出発点になっています。


武士にとってこの名誉は時に命をかけて守らないといけないものです。

 

生きて恥を晒すよりは名誉のために死ぬ生き方が「切腹」という形に現れています。


またまた長くなったので最後の「忠義」は次回に・・・・・

七つの徳目 「仁」と「礼」

先日は武士道の7つの徳目のうち「義」と「勇」について書きました。


今日は次の徳目である「仁」について書いていきたいと思います。

 

仁とは優しさや思いやりの心のことです。


義と勇は厳格さや強さを表すのに対して仁は弱者に対しての寛容さを表します。

 

特に義と仁は両輪の関係にあります。

 

「仁に過ぐれば弱くなる。ぎに過ぐれば固くなる」

という伊達政宗の言葉を新渡戸稲造は引用しています。


正しさばかりだとダメ、優しさばかりでもダメということだと思います。


そして続いての徳目は「礼」です。

 

礼とは等しく相手を尊ぶ心です。

 

地位や立場で態度を変えるのではなく等しく全ての人へ敬意をはらい生きる心を極めることです。


戦国時代の千利休はこの礼を茶の道で具現化しようとしていました。

 

彼の求めたものは一期一会です。

 

例え人生でこの先会うことがない一度きりの出会いであってもその一度の出会いの中で最上のおもてなしをするありようを大切いしていました。


今日は「仁」と「礼」について書きました。次回はいければ残り3ついきたいと思います。

7つの徳目 義と勇

先日は
武士道とは
「義に生きるとを美徳とし、卑怯に生きることを恥とする」あり方です。
武士道とは
「一生抜くことのない刀を日々研ぎ続ける道」です。
武士道とは
「戦わずして勝つ道」です。

この精神性を生み出す7つの徳目というものが武士道にあります。


その徳目とは
義 勇 仁 礼 誠 名誉 忠義ですという話をしました。

 

それでは 義 勇 仁 礼 誠 名誉 忠義 とはそれぞれどんな意味があるのか?ということをお話しします。


七つの徳目の中で一番最初に出てくるのがこの「義」です。

 

義と聞くと義理と捉えがちですが、武士道でいう義とは正義の義です。

 

正しくあれという教えだと考えても良いかと思います。


社会人としていえば社会の規範やルールに従った社会人と常識を携えて行動することでしょう。

 

ただ武士にとってこの義は命より重いもので、命に変えても守り抜くものを表しています。


この後にお伝えする名誉や忠義もその命を通して守り抜くものであると考えても良いかと思います。


そして2番目に説かれるものは「勇」です。

 

すなわち勇気です。

 

今の社会で勇気というと蛮勇のイメージが染み付いていますが、勇猛果敢に責めることができる姿と勇と行っているわけではなく勇とは義を貫く時に必要な力であり、いざというときに行動できる行動力です。

 

そのため勇を保つためには同時に動じない心を養わなくてはなりません。

 

平常心をどんな時でも保てる力がいざという時に義を守る時に生かされます。


それでは、次回は「仁」からいきます。

武士道とは?

ようやく武士道の内容に入っていきます・・・・・

 

長らくお待たせしました。


一般的に侍が誕生したのは平安時代と言われています。

 

元々は貴族の警護にあたる人でした。

 

さぶらいという言葉が語源でした。

 

それが常に武器を携帯し武力を行使する身分のさして武士という階級が生まれました。


平安時代から室町時代南北朝時代をへて戦国時代そして江戸時代で確立していきます。


江戸時代には儒教をベースに朱子学陽明学を取り込み神儒仏(神道思想、儒学思想、仏教思想)の三つの思想を統合して今の武士道は形作られています。


神道=感謝と尊重の教えを

儒教=道理と人道の教えを

仏教=真理と法則の教えを統合して武士道精神が生み出されました。


武士道とは

「義に生きるとを美徳とし、卑怯に生きることを恥とする」あり方です。


武士道とは

「一生抜くことのない刀を日々研ぎ続ける道」です。


武士道とは

「戦わずして勝つ道」です。


この精神性を生み出す7つの徳目というものが武士道にあります。

 

その徳目とは

義 勇 仁 礼 誠 名誉 忠義です。


この徳目を次回を説明していきます。

違和感を感じる生き方をしないために

武士道の続きを今日も書いていきたいと思います。

 

会社の歴史を書いていたのに脇道をそれてだいぶん違う内容になっていますが、遠慮せずにガンガン脇道にそれていきます。


生き方の原理原則の中心においた方が良いあり方としての武士道とは?


これはあり方なので普段私が使う法則とは少し違っています。

 

法則は原理原則の原理の部分です。

 

原理とは物事を成り立たせている性質のことで、原則とはその性質を元に人間が決めて規則のことです。

 

原理に基づいた原則なので普遍的なあり方を示すものが多いですが、あくまでも原理自体ではないので気をつけてください。

(ちょっと難しすぎて何を言ってるかわからないでしょうが大事なことです)


その前提で武士道を見ていきます。


武士道とはそのまま見ても分かる通り武士の道です。

 

武士としてのあり方を示しています。

 

そしてこれは日本人らしいあり方を示していると私は解釈しています。

 

日本人のDNA的にこのあり方をしっかりと体現できると活き活きとして人生が歩めるのではないかと感じています。


肉体が嫌がる生き方をすると違和感を感じます。

(何故なのかわからないが気持ちが悪い感じです)

 

その違和感がやがて不安感となり、さらに不満となって他者を攻撃し始めます。そしてどんどん自分の軸を失い他責になる・・・・・・


つまり違和感のない生き方をするための指針が日本人なら武士道が非常にわかりやすいと思います。


またまた、武士道自体の説明を書くまえに前置きくが長くなってしまいました・・・・・・


次回に続きます。

生き方の原理原則=武士道

生き方の原理原則その原理原則を日本人向けに著したものが「武士道」だと思っています。

 

その武士道のあり方の前提のもとに使命と共に生きる人生感を持ち、自分軸を中心に人生を楽しにながら世の中に影響力を持って価値を生み出しつづけている人間が本当の人財だと私の中で定義づけしています。


それでは武士道とはなんなのか?そもそも武士道とはあのお札の人がまとめた日本人のあり方です。


そのあの人とは・・・・・

 

そう!五千円札のあの人!


新渡戸稲造さんです。


お札ではみる新渡戸さんですが、彼がどんな人物で何をしたのかを知っている人は少ないのでは・・・・と思います。


世界的ベストセラーになった「武士道」と言う著書を描いたと言うことぐらいは知っている人は多いでしょうが、実は彼は国際結婚をしており、しかもクリスチャン出会ったことを知っていますか?


彼が生まれたのは開国前の日本です。

 

南部藩士の三男として生まれます。

 

幼い頃から探究心の強かった彼は西洋文化が流れ込んできた明治維新後に様々な刺激を受けて育ちます。


その後、東京英語学校へ入りそこで明治の日本を担う人たち内村鑑三嘉納治五郎加藤高明、末松謙澄などと共に学んでいます。

(ちなみに内村鑑三の代表的日本人という本も名著なので読んでみてください)

 

さらに北海道に渡り入学したのが札幌農学校

 

ここはあの有名なクラーク博士が教えていた学校です。

 

直接の交流はなかったそうですが、クラーク博士の一期の教え子から勧誘を受けて洗礼名を授かって改宗しています。

 

この改修をしたことがきっかけにクェーカー教の同じ京都のメアリー=エルキントンと出会い結婚します。


その後ドイツに留学中にベルギー人の教授に「宗教教育のないのに、日本人はどうやって善悪の区別をするのかね?」という質問をきっかけに「武士道」という本を執筆することになります。


生涯を日本人の精神性の教育に捧げた彼ですが、苦悩も多かったようです。

 

西洋と日本の架け橋になるために国際連盟の初代の日本代表をし尽力したりと様々な功績も残しています。


そんな新渡戸稲造さんの書いた「武士道」の精神について次回書いていきます。

生き方の原理原則・・・・・・

原理原則について書いてきましたが、今日は生きるということに対しての原理原則を書きたいと思います。


生き方の原理原則・・・・・・

これは益々書くのに気が引けてきますが、大事なことなので書いていきます。


これは目指すところなので実際に私自信ができているできていないと言うことはあえて度外視していきます。

 

こうありたいと目指しています。

 

ただ、これは私自信が今までの経験の中で学んだ良い意味での錯覚です。


この錯覚のことを書いてしまうと話がややこしくなりますが、前提条件としてとても大事なので少しだけ書いておきます。


世の中は空です。

 

その空の上に何を自分の意識で描くのかが現実です。

 

何にでもかけるキャンパスに自分の好みで絵を描いている感じです。

 

つまりはなんでも思う通りにかけるのが世の中です。


本当の意味での空を前提にすると原理原則すらも空に陥っていきますが、この辺りはややこしくなりすぎるので、ここでは私自信が今大事な生き方だと思うことと言う感じで受けてってください。


長くなりましたが、次回から生き方の原理原則を描いていきますね。